震災から3週間を経て(2011.3.30)
column | 震災から3週間を経て(2011.3.30) |
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やっと水道が復旧した。地震から16日目だった。吉成小学校までの給水が日課だっただけに水のありがたさを痛感した。暖房も十分でない体育館に避難している方々には申し訳ないと思いつつ、久しぶりに風呂に入らせてもらった。だからまだ髭も剃っていない。
仙台市中心街は交通機関も復旧しほぼもとの生活が可能になってきた。地震前通院していた患者さんたちが徐々に来院されるようになり無事であったことを確認した。しかし中には家ごと流された方もいらした。当院へ通院されていた気仙沼や石巻、南三陸の患者さんの中にはまだ連絡のつかない方もいる。どうか無事であることを祈るのみだ。多賀城の大代でパン屋さんを開業したばかり患者さんは無事だったが、お店が津波でめちゃめちゃになってしまった。仙塩病院も1階部分が泥で覆い尽くされ医療機器も損害を被り診療もできない状態だ。乗り越えられない困難はないとはいうものの、これだけの災害からの復興には相当の時間と労力とお金がかかるだろう。そして何よりも一人一人の強い気持ちが必要だ。
戦場のような悲惨な被災地の状況を聞いたり、テレビの映像を通してみていると、生きるとは何なのかをつくづく考えさせられる。自分も含め今までの生活はあまりにも便利になりすぎ功利主義に陥るあまり、ものの大切さやありがたさを忘れてしまっていた。そもそも人間は楽しむために生きているのではないのだ。幸せが生きる目標や目的なのではなく、生きていく中でたまたま得られた結果にしか過ぎない。“生きるとは”という問いに答える事は、生きてくことそのものに他ならない。人は一人では生きては行けない。悲惨な不幸に耐え、お互いが支え合い自分自身に責任を持って生きていく事、自分が生きている範囲内で自分にできる事を最大限やり遂げることが人生であり、そこにお互いの信頼関係が生まれ生きる意味を知る事ができるのではないだろうか。どのように生きるかという人生こそが生きる意味を教えてくれるのだ。 嘆いてばかりはいられません。復興へむけて自分もゼロからのスタート地点に立ち、頑張っていこうではありませんか。
記事の投稿日:2011年03月30日