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仙台藩を守った『六芒星』巡り

column 仙台藩を守った『六芒星』巡り

 連休中、仙台の城下町の基本となった『六芒星』巡りをしてきた。

全行程25km、仲間一人と愛犬ヴァイスも同行。

5時間の予定だったが、寄り道脱線の連続で結局7時間かかってしまった。

ヴァイスはもうバタンキュウの状態だった(翌日下痢していた、申し訳ない)。

 

 是非、星の街仙台 https:// hexagram.jp をご覧になってください。

 

 六芒星の頂点は青葉神社。対面が愛宕神社。西に大崎八幡宮青葉城本丸。東に仙台東照宮榴岡天満宮となっています。他にも四神も鎮座していて、北の玄武が亀岡八幡宮、西の白虎が太白山、南の朱雀が瑞鳳殿、東の青龍が松島瑞巌寺とされるようです(前出:星の街仙台)。

 

 5月5日は晴天に恵まれた。本丸からの眺望は、これから1周する始まりに元気をくれた。伊達政宗の頃は、今のような林立するビルなどなく、松島まで見渡せたことだろう。1kmほどの坂を下り、東北大学キャンパスを横切って、亀岡八幡宮を左手に見ながら牛越橋へ。亀岡八幡宮は1週間前に訪れたが、石段は大崎八幡宮の3倍ほどあった。玄武の神とは知らなかった。

 

 大崎八幡宮は、開業以来毎年どんと祭で裸参りに参加している。干支の戌の神様でもあり、戌年生まれの私は散歩コースとしてしょっちゅう訪れている。安土桃山時代の見事な色調で、訪問するたびに魅了される。

ここから裏道子平町を通って東北福祉大に至り、北山へ。ここでは輪王寺の裏道を登っていく。キリスト教のお墓や白虎隊の飯沼貞雄の墓もある。資福寺、覚範寺から車道へ降り、青葉神社へ。

 

 青葉神社も高台にある。ここから南に向かって国分町まで道がまっすぐ伸びている。これを政宗の時代に造られたことに驚嘆する。石段を降り、北仙台駅方向へ向かうと、鈴木餅店があり一休み。お餅を買って仙台東照宮で食べることにした。東照宮までの道には、梅田川があり、これも政宗時代に四谷用水として整備された水路だ。水の確保は生命維持には必要不可欠で、政宗の先見性が伺われる。その宮城で、今水道民営化が勧められている。『水は命』であり、それを商売の利益の道具にしていいものなのか。東日本大震災や新型コロナ問題で全く先見性のある指導力もないことが証明された村井知事。水道民営化では全国に先駆けてその経済最優先の手腕?(大企業による水道の私物化を推進し、一般庶民は切り捨てのまさに今の安倍政権の小間使いでしかない市民の敵)  そんなことを考えながら、この六芒星の町割りを作った伊達政宗の仙台の街を守らなくてはならないことを再実感した。

 

 仙台東照宮は、門構えが素晴らしい。ここで一休み。餅屋で買ったお餅を食べ、ヴァイスも水補給。ここからも南へまっすぐ宮町通りが伸びている。蔵もあるが古い建造物は少ない。今の仙台は利便性や経済性のみ優先されているため、どこに行っても同じような大型店が並んでいる。昔からの遺産を残すことの大切さを忘れてしまったのか。

 

 榴岡天満宮は昔よく遊びに来た。私は連坊小学校、東華中学校に在学していた。東華の応援歌に榴岡天満宮が出てくる。その頃この周辺は何もなく、丘の上にボロイ天満宮があった。今は周辺にマンションが林立して風情もへったくれもない。ボロかった建物は朱塗りされてかなり立派になった。

これから新寺小路を横切り連坊小路へ向かうが、途中新寺小路緑道という小道があって散策した。幼稚園の頃、新寺小路はなく多分この道があったのだろうが、私は通ったことはなかった。荒町を通って、旧愛宕橋まで来た。昔はこの橋のたもとから愛宕神社への階段があった。今は愛宕大橋から広瀬河畔通りで寸断されてしまっている。確かにこの道路は今となってはなくてはならないものだが、他に手はなかったのだろうか。

 

 最後の愛宕神社へ到達。最後の階段だ。本丸同様に眺めは最高だ。仙台の街が確かに15°傾いて造られていることがよくわかる。この歳になって初めて仙台の街のあり方を考え直すことができた六芒星巡りだった。

記事の投稿日:2020年05月09日


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