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東京マラソンにエントリー(2010.12.24)

column 東京マラソンにエントリー(2010.12.24)

 2011年2月27日の東京マラソンに出場が決まった。
 小学1年の時自分は福島駅裏の太田町に住んでいて、三河台小学校へ通っていた。ある時父親がマラソンをしようと言い出して、兄と3人で磐梯スカイラインに通じる道を1km程山に向かって走ったことがあった。それ以来、何を勘違いしたのか朝6時に起きて毎日のようにマラソンを始めた。小学3年になると仙台に転居し連坊小学校へ通ったが、マラソンする意味を考えるでもなく、仙台一高の校庭周囲にある土手をただ黙々と走り続けた。東華中学に入ると少し距離を延ばして宮城県陸上競技場周囲の道路を走った。高校になると毎日5kmほど走っていた。日によってコースは異なり、陸上自衛隊前までの平坦なコースだったり、広瀬川の宮沢橋を渡って三女方面の大年寺山を登るコースもあった。
 何故走り続けたのか?現実逃避?強迫観念?今振り返ると、陸上選手になるわけでもなくよくそんな事を続けたものだなと我ながら感心してしまう。確かに小学校では学校代表で放送陸上に出場し、中学では駅伝選手に選ばれ花の2区を走ったこともあったが、お世辞にもずば抜けて速くはなかった。ただ走る事が自分の日課になっていた。朝起きて走るまでは何となく気が進まないのだが、走り終えると頭はすっきりしていた。おかげで今では死語かもしれないが、根性だけはついた。頑張る事が好きだったし、中途半端に投げ出す事が嫌いだった。そんな事を思い出しながら、またマラソンを始める事になってしまった。ここ何年も走っていないというのにいきなりフルマラソンだ。20年前秋田大曲の仙北組合病院に勤務していた時、一度だけ田沢湖マラソンの10km部に出場したきりだ。
 実は今回、東京マラソンへ応募して落選してしまっていたが、山の会の仲間からチャリティ枠で是非走りましょうよと誘われた。チャリティへ高いお金を出して特別枠で出場するというものだ。そのお金で山の装備を揃えたほうがよっぽどましと最初は考えたが、自分を誘ってくれる仲間がいることに心動かされた。いずれできるだろうと思っていてもやれないかもしれない。今出来る事は今やるべきだ。あと2ヶ月しかない事で逆にいい緊張感があっていいかもしれない。そんな生き方を謳歌しようと思う。

記事の投稿日:2010年12月24日


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