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東京マラソン完走(2011.2.27)

column 東京マラソン完走(2011.2.27)

 9時10分スタートの号砲が鳴った。3万6千人の後方のスタート配置だったのでなかなか前に進まない。スタート地点まで移動するのに11分もかかった。石原知事が壇上からこちらを見て手を振っている。やっとこの日が来たんだという気持ちがこみ上げてきた。道幅全体がランナーで埋め尽くされ、コース取りもままならない。それでも少しずつ広がる隙間を確保して順調に走り出した。城整山の会隊員でマラソン部のS隊員とO隊員も参加している。3人とも最初はおさえ気味で走る事にしていた。この日は2月末にしては珍しく暖かく、風もほとんどない絶好のマラソン日和だった。自分としても走る感触も良かったし快調に走る事を心がけた。
 そもそものきっかけは、城整山の会全員で東京マラソンに出場しようという冗談だった。しかし正式に選抜されたのが、O隊員のみ。何にでも挑戦することが好きなS隊員が是非とも出場したいという。その意向にほだされてチャリティでのエントリーとなった。練習中に左下腿を痛めたS隊員は、練習も思うようにいかなかったが、前日に仙骨ブロックをしてまで出場した。そして痛いながら完走した。その気力、気迫に脱帽。O隊員は当初3km走っただけで息が上がってしまう状態だったが地道に練習を重ね、体重も3kg減量に成功した。練習では最長30kmを走り、大会では苦しいながらも堅実な走りができて見事完走。その苦手な分野に挑戦する意志の強さに感服。そして何よりも、山の会の応援団としてF隊員、TM隊員が参加し、貴重な1日を我々のためにつき合ってくれた事に感謝。しかも各地点に先回りしての大声援。力尽きかけた我々に力を与えてくれた。
 自分はO隊員と同じく今回が初マラソン。しかも最高走行距離は25km。それもトレッドミルでの話だ。走りきれるか非常に不安があった。案の定、実際アスファルトの上を走ってみると、下肢にかかる負担は全く違っていた。20km付近で両股関節の臀部から大腿にかけて痛みが出始めた。これから先は未知の世界だ。自然とペースがダウンしてきた。歩幅が広がらないのだ。両大腿四頭筋の収縮幅が狭くなっている。それでも同じスピードの人を見つけてはその背中についていくよう頑張った。離されるとまた別のランナーの後ろを走っていった。35km付近で撮影されながら走っている石原良純氏(ボクより年下)を追い越した。40km付近からはかなり失速してしまい、抜くより抜かれる事のほうが多くなっていった。最後の橋を越えてもその先のどこがゴールなのか分からずスパートのかけ時が分からなかった。ペースは更に落ちていたのだろう、最後の200mの直線で石原氏に抜き返されてしまった。これで火が点いた。このまま終わっては城整山の会としての面目が立たない。最後の力を振り絞ってダッシュした。余力を残していたつもりは無かったが意外と抵抗も無く速く走れた。息も上がらない。体は軽かった。グリコーゲンローディングの効果?腕を大きく振り短距離のつもりで走った。難なく抜き返しそのままゴールへ駆け込んだ。ネットで4時間6分。終わってみると、フルマラソンを完走しながら達成感がなかった。サブ4になれなかった悔しさもあるが、最後の失速でかなりランナーに抜かれた事に対する情けなさがあった。来年はリベンジ?でも有森裕子選手と写真をとれたのは救いだった!?
 最後に城整山の会メンバーがビッグサイトに集合。お互いの完走をたたえ、最後まで応援してくれた仲間に感謝する握手を交わした。マラソンの達成感がなくとも、山の仲間としてまた頑張れると思った。この後マラソンのために2週間断酒したS隊員が、東京で炸裂し古川行きの最終新幹線に乗り遅れたという落ちがついた。

記事の投稿日:2011年02月27日


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