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2015京都マラソン

column 2015京都マラソン

 2.15京都マラソン大会に出場してきた。10月中旬から朝5時起床して3kmを3日/週走ることから練習を開始した。週末には長距離走る予定は立ててはいたものの、結局仕事疲れで寝週末となることが多かった。
 1月になって朝4時半起床に変更し、毎朝8kmは走ることにした。徐々にスピードもあがってきた。どんと祭おわったあたりからは1回10kmにまで増やしたが、仕事終了後はどうしても走る元気もなくなっており、結局早寝して早朝1時間走るだけの練習になった。週末も案の定、長距離を走る元気は出なかった。3.5時間に迫るのが最初の目標だったが、いつしか4時間以内、さらには完走が目標に変わってしまった。
 大会前日、新幹線で京都入り。大阪勤務の城整山の会のTさんが迎えてくれた。感謝感激!一緒にマラソンのゴールとなっている京都平安神宮へ行き、マラソンの事前手続きを行った。内心sub 4の自信もなかったので、『メディカルランナー』の登録を行った。これは医師や看護師、救命救急師のボランティア活動で、マラソン中に救急を要する場面に遭遇した場合、その救護に当たるというものだ。『何かあったら言い訳になるかも』なんて少しは思ったが、その趣旨に賛同できたので登録した。またこの京都マラソン大会は、東北大震災復興支援を謳っている点からも参加したい理由になっていた。夜はTさんに京都駅近くの寿司屋さんでたんまりと御馳走になった。来年今度は是非一緒にマラソンで参加しようと意気投合した。
 大会当日、Tさんとスタート地点である西京極総合運動公園で待ち合わせしていた。参加者1万6千人。かなりの人でごった返している。5℃と表示されてはいるが、曇り空で寒い。今回、防寒対策として古着をスタート直前まで着ていてもいいことになっていた。スタート5分前に古着は回収され、そのままリサイクルされることになる。非常にいい試みだ。
 9時、気持ちよくスタートできた。京都の五条通から葛野大通、そして四条通へと曲がり、桂川沿いに走る。渡月橋を観ながら右折し、嵐山高架橋を越え大覚寺へ。広沢池をすぎると10km地点になる。思ったより速く走っているので、後半までもつのかやや不安になった。しかし調子良く走れているので、そのままのペースを保った。竹林前の登りをなんとかクリアし、仁和寺前を通過したが、今回は和尚さんの応援はなかった。少し小雨が降ってきた。2年前と同じパターンだ。龍安寺前を通過。だだっ広い道路を走る東京マラソンと違って、京都はアップダウンの他に、細い道もあり風情を感じさせるルートとなっている。金閣を抜け今宮神社を通過し賀茂川に出た。Tさんが『ゴトー、ゴトー』と応援してくれている。20km手前なのでまだ快調ではあったが、少し左大腿外側の筋に違和感を感じていた。賀茂川を折り返して、北山通を西へ向かう。徐々に疲労感がたまってきていた。まだペースとしては少し落ちた程度だった。北山通を折り返して東へ向かうと両下肢が怪しくなってきた。25kmを越え、植物園内を走るのだが、だいぶペースが落ちてきた。賀茂川へ戻って河川敷を南下。かなり筋肉が厳しくなってきた。30kmを通過して水分補給所で、立ち止まって前頸骨筋のストレッチをしようとしたが、ストレッチしていないアキレス腱とハムストリングがつりそうになった。ヤバいと思った。なんとか筋肉をだましてつらないようマラソンに戻った。丸太町通から市役所方面へ折り返すが、もう必死だった。あと10km。沿道の応援太鼓が気持ちを昂らせた。東一条通から京都大学前へかかるとき、もう4時間以内での走破は難しいと感じ始め、気持ち的には歩きたくなっていた。京都大学脇の今出川通の登り坂にかかった時、4時間のペースランナーに追い抜かされた。『これはヤバい』何としてもついていかなければと気持ちは奮い立ったが、体力がもう限界だった。根性で腕を前後に強く振って、スピードをあげようとした。ペースランナーに少し離されたが、何とか食らいつけた。最後の平安神宮まで2km。ペースランナーの『このペースで行けば4時間切れますよ』という呼びかけに力つけられた。脚を引きずりながら、根性を振り絞って最後まで走り抜けた。3時間58分。Sub 4は達成したものの、本当に限界を超えていた。

記事の投稿日:2015年03月09日


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