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無思想の思想

column 無思想の思想

 先日NHKで司馬遼太郎特集をしていた。クリスマスも祝うがその1週後には神社へ初詣に行く。葬式ではお経を上げる。欧米人からすると、全く理解のできない人種に映る。しかしこれこそが、この島国で生きる人々が古くから育んできた柔軟性や寛容性だという。多様な価値観を受け入れる「無思想の思想」と、外への「好奇心」が日本人の特質と捉えた。また、鎌倉時代の武士が育んだ、私利私欲を恥とする“名こそ惜しけれ”の精神。それは、武家政権が拡大する中で全国に浸透、江戸時代には広く下級武士のモラルとして定着したという。東日本大震災時に暴動や窃盗も起きず、配水車の前に並ぶ統率のとれた人々の行動、サッカーW杯会場での日本人の清掃行動など、世界から賞賛を浴びている。まさに“名こそ惜しけれ”の精神が日本人の心の中に浸透している現れと考えられる。
 一方で、山本七平の説く日本人の伝統的な人生観。『このままある』『自ずから然るべき状態にある』という意味での『自然』に身を任せ、常に『今ここ』を受け入れ、それに不平や愚痴を言ったり、あるいは他者を攻撃することは潔くない生き方として退けられる。苦境に至った時、人は現状を嘆いても仕方がない。人に必要とされるような技術・知識を身に着けることで生き延びていかなくてはならない。この美徳とも言える日本人の精神は誇りと言える。
 しかし、東日本大震災の福島第1原発事故後の今の日本を考えた場合、広い視点を持ってみると人類にとっての普遍的解決になっていない。原発事故の反省を封印し消し去ろうとしているようだ。まるで山本七平のいう『自然』の一部として従容として受け入れ、与えられた条件の下、今ここで黙々と全力を尽くす、なのだろうか。それは違う。原発問題は徹底的に問題点をあぶり出し、反省すべきは反省し、教訓として学ばなければならない。それどころか、経済優先で原発再稼働や原発技術の海外輸出が堂々と行われていることに、みなさんも疑問を感じているはずだ。『経済』と『人の命』を天秤にかけていいのですか。今こそ、唯一の原爆被爆国であり、福島第1原発事故を起こした日本であるからこそできることをしなければならない。
 そして現在のシリア問題。ロシアが公開したシリアの現状を映像で見た。砲撃で廃墟と化したシリアの人気のないビル街には絶句した。この問題を作りだしたのは、実は世界第1次大戦なのだ。欧米列強の思うがままに分断支配された中東。その影響が今に続いているのだ。キリスト教とイスラム教の戦いと単純には決められないが、無宗教で無思想の思想を持つ日本こそがこの世界問題の解決に立ち向かうべきではないだろうか。今後の有識者の行動に期待したい。

記事の投稿日:2016年04月08日


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