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谷川岳・芝倉沢スキー(2010.4.4)

column 谷川岳・芝倉沢スキー(2010.4.4)

 朝旅館の窓を開けると、雲ひとつない快晴の空の下に朝日に谷川連峰が輝いていた。今日滑り降りる芝倉沢を想像しながら準備にとりかかった。朝食をすませタクシーでゴンドラ土合駅へ向かう。駅の中で一夜を過ごした登山者のグループが20~30人いた。絶好の花見日和と天気予報でも言っていたが、山も最高の天気だ。皆この天気を見込んで谷川まで来たのだろう。
 天神尾根まで上がると冴え渡る青い空をバックに、真っ白な谷川岳が凛としてそびえている。山頂は風が強いようで笠雲がかかっていた。陽が登るにつれて風もおさまってくるだろう。熊穴沢非難小屋は雪に埋もれていた。スキーシールで登っていくが傾斜がきつくなり、ザックにスキーをくくりつけて登っていくことにした。上空は雲ひとつない。アイゼンを表面が凍りついた雪面に蹴りこんで登っていく。左手に赤い屋根の肩の小屋が現れ、雪山にいる緊張した気持ちをやわらげてくれた。トマの耳で写真撮影する間もなく、一の倉岳へと向かった。さすがに人もぐっと減って前後には誰もいない。雪とブッシュの100mの登りを終えると、あの険悪な岩場を従えているとは思えないほど平らでたおやかな一の倉岳山頂となる。これから降りる芝倉沢は下から雲が湧き上がっていて視界が利かなかったが、新潟県側は快晴で天上の楽園を満喫できた。
 昼食を済ませ、さあ滑降開始だ。雲の中へ入ってく。すると雲はみるみる消えていき、すり鉢状に広がった雪の壁の中にいる自分達を認識した。すごい高度感。“ヒュー”思わず歓声を上げてしまった。同行の城整山の会会員Kは大学スキー部で鍛えただけあって華麗なショートターンで一気に滑っていった。自分はといえばスキー装備は一級品ながら、大学山岳部出身だけあってスキーテクは鈍臭い。まさしくスマートな仙台二高出身のKと鈍臭く癖のある仙台一高出身の私を象徴しているようであった(あまりにもローカルで失礼)。対岸には今年の夏に沢登りで目指す朝日岳が鎮座していた。景色を堪能しながらゆっくりと斜滑降で降りていった。ゲレンデとは違って雪質が一定ではなく、急に硬くなってガリガリいったり、急にもぐって制動がかかってしまったり。雪崩のデブリがあちこちに硬く盛り上がっている。滑りを満喫するどころか、すでに大腿四頭筋はプルプルになってきた。振り返ると今滑ってきた急斜面が大きく立ちはだかっていた。東北の山とは違うスケールの大きさにまた歓声。これから滑る雪面は漏斗状に一箇所に集約し狭くなっている。その先は夏なら滝だが、雪で埋もれてすべり台状になっている。雪崩も集中するところで気を抜けない。側面からの雪崩に気をつけながら滑っていく。さっきまでは乾燥した雪と氷だったが、次第にザラメ状になってきた。更に下降するとザクザクと雪が腐ってきた。その瞬間、足をとられて転倒。左ひざをひねってしまった。しばらく痛みで動けなかった。Kも心配そうに降りてきた。痛みが収まってきて自己診断。関節の不安定性なく腫脹もなし。MCL上に圧痛がある。ACLは問題なさそうだ。MCLの部分損傷か。スキー滑降ができそうもなかったのでつぼ足になって歩き出したが、膝上まで雪に埋まってしまう状態で歩くどころではない。やはりスキーで降りるしかなかった。雪崩の危険はまだあるので長居はできない。早々にその場を移動して何とか雪崩の巣を通過した。土まじりの大きなデブリを過ぎると、その先は緩斜面になっていた。林の中に入り雪崩の危険性がなくなったところでザックを下ろして小休止。左膝にテーピングを巻いた。標高差1,000m以上の滑走だった。Kも緊張から解き放たれたようで、安堵感のこもる笑みがこぼれた。さあ、あとは湯檜曽川ぞいに土合までスキー歩行で終了だ。

記事の投稿日:2010年04月27日


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