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春分の日に思う(2012.3.20)

column 春分の日に思う(2012.3.20)

 震災を経て1年、今自分自身そして家族、職場、更には我々人間の向かうべき道は何なのか。避難者の生活の問題、被災地の復興、福島原発の問題、余りにも大きな課題で、一個人では対応しきれない問題だ。しかしだからといって、そのまま放置していいのだろうか。個人や家族、職場といった小さなコミュニティの囲いの中でだけが幸福であればいいのか。勿論自分の職場が成り立たなければ、その従業員の生活も成り立たなくなる。会社が安定化するため最大限の努力を社長は担っている。しかし会社の存続には社員が必要で、社長一人では会社は成り立たない。今医師一人体制になって、職員一人一人の必要性を再認識している。ではそのためにはお金が必要なのだろうか。ある程度の収入は必要だろう。しかしお金が全てではない。豊かな生活水準=幸福なのだろうか。高収入の人の方が低収入な人より幸福なのだろうか。伴に生きる、伴に困っている人の力になれるよう仕事を全うする。そうした意識がより重要なのではないだろうか。
 原発を存続させるかどうかの議論が政府で検討されている。原発賛成の意見は、今の生活レベルを下げることは出来ない経済優先の発想だ。『飛行機は落ちるかもしれないが、それを承知で人々は飛行機に乗る。これまで人間は火を起こし、自動車を作ってきた。色々な危険はあったが、人類はその危険を乗り越えてきた。だから原発問題も乗り越えられる。そして経済を発展させ、高水準の生活を守らなければならない』というものだ。果たしてそうだろうか。原子力というものは人類の英知を遥かに超えていて、人間にはどうする事も出来ないものだ。放射性廃棄物は今後何千年も放射線を出し続けるのだ。人類史上初めての被爆国である日本が、平和利用と称してこの狭い国土に54基もの原発を保持し、昨年の原発事故を起こしても尚、原発を存続させていこうというのか。原発事故となれば日本国内だけではなく、全世界へ影響がでる。それを日本のごく一部の経済界の人達のために、原発を存続させていいのだろうか。ここで必要なのは、より普遍的倫理観、よりグローバルな価値観だ。震災のあとどのように感じ、どのようにすべきだと感じたのか。何が大切で、どう生きて行くべきなのかを思い出すべきだ。苦しみと痛みを分かち合う精神。伴に生き助け合う精神。それが大切だ。
 今年になり一人体制にもかかわらず昨年同様の手術件数。その仕事の疲れから、自分の生き方すら考える事もできない毎日だった。ただひたすらその日その日の仕事をこなし生活するだけで精一杯だった。刹那的にその時々の歓びや悲しみに流されるだけだった。久しぶりに体を休ませることができたこの春分の日の祝日。明日へ向けてじっくりと充電し考えよう。

記事の投稿日:2012年03月20日


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